●NEW!海外や全国各地から受講できます。
コロナ感染予防や、オンラインの発達により、パソコンやスマホがあれば、受講できるサービスがスタートいたしました。これにより、遠方の方でも受講が出来ます。ぜひ私と一緒にやってみませんか?すでにアロマセラピスト養成講座で受講生様とレッスンしています。
●アットホームな個人レッスンと少人数レッスン
アロマテラピーおこじょらいふは小さなアロマのスクールです。2000年から今まで自宅教室としてやってきた実績も長いので、少人数制の教室やコースに定評があります。
個人レッスンにも力を入れていますので、なかなか定時の教室や資格講座に通われない方のためにも利用されております。個人レッスンでは、講師と生徒さんのご都合のよい日時をおとりして行っていきますので安心です。
●個性の実現へ
アロマセラピストもアロマテラピーインストラクターも、その他の資格も、合格すればいいというものではありません。
どうやって活かしていったらいいのか?一定レベルでの技量はもちろんですが、その方の個性や環境にあった活かし方を一緒に考えていきましょう。
●女性の転機を支えるアロマテラピーの実現へ
特に女性には様々な転換期がありますよね。結婚、子育て、更年期、離婚、病気、介護、老化、死別などなどそんな山や谷の多い転換期をアロマテラピーでうまくサポートできたらいいなと思っています。
●難しいこともやさしく簡潔に
アロマテラピーインストラクター試験、アロマセラピスト試験で出される精油の化学など、化学から遠のいてしまった方には、難しく思えます。実際文科系の私も苦労しました。なので化学も、文科系の方にも理解できる程度にかみくだいてわかりやすく、覚えてもらうように工夫しました。
●使える資格の習得を
使える資格と技術の習得と目指しています。資格をとったものの使えなくては意味がありませんね。実践で使えるような技術を学習していきます。注意事項やちょっとしたヒントも沢山実践したり、お話ししていきますので楽しく学べます。
●アフターフォロー
資格を習得した方へのご連絡や、職場訪問やフォロー、イベントでのアロマやアロマボランティア体験などもご希望でどんどん行っております。 修了された受講生様のその場の環境や職場や合わせた実践活動のご相談にも乗っています。その後の活動を応援するフォローは熱いです。
●お子様との受講
受講したいのだけれど、子どもが小さくて、面倒を見てくれる人がいない。預けるところがなかなか見つからない。自分のそばでレッスンを受けたいという受講生さまのご要望により、お子様連れで受講ということも可能になりました。現在、様々な資格養成講座で取り入れています。
詳しくは、こちらのページをどうぞ。
こんにちは。こちらをご訪問くださいまして、誠に有難うございます。
アロマテラピーおこじょらいふの根元です。
ここでは、私の自己紹介をお届けしています。
プロフィールというよりも自分史に近いものです。良かったら、見てくださいね。
私の幼少期は、全然覚えていませんが、父が
宮城バス(宮城交通)で働いていたので、転勤族でした。
南三陸町の昔の志津川町で幼少期を過ごしました。
母の話ではお客さんが来るととても大喜びして、最大限にはしゃいでいたそうです。
それ見たお客さんも大喜びだったそうです。
志津川町に5年ほどいて、石巻に転勤になりました。
住吉小学校に入学しました。
古い木造校舎、手作りの給食が印象的で懐かしいです。
3年くらいでまた転勤になり、仙台市泉の
七北田小学校に転校しました。
思い起こせば、人見知りする子で、とても寡黙でした。
図画工作が好きで、当時は美内すずえさんの
ような漫画家を夢見たりしていました。
小学校6年の卒業文集にはマンガになりたいと書きました。
しかし、スチュワーデスにも憧れていました。
七北田中学校に入学しました。
後輩には羽生結弦君や本田武史君がいます。
英語が好きだったので、繰り返し勉強しました。
やはりスチュワーデスに憧れていたのです。
部活動は体操部。
当時、体操王国ニッポンだったのです。
先輩もバック転もぽんぽんできるレベル!
機械体操、すごい! あまり考えないで憧れだけで入部しました。
その頃、私の憧れは「白い妖精コマネチ」でした。
そう、あのルーマニアの体操の女王ナディア・コマネチです。
ほんとに素晴らしい完ぺきな演技で魅了させられました。
バック転も練習しました。
頭を打ちながらも行いました。
嬉しかったけど、痛かった。跳馬も展開して飛びました。
今では・・・・とても考えられないです。
そのおかげか、思いきりがよくなりました。
高校は宮城第一女子高に入学しました。
語学部に入り、文化祭では語学劇を披露。
役は、シンデレラの魔法使い役と侍従長が思い出深いです。
進学高なのにのほほんと過ごし、おかげで一浪しました。
予備校で勉強して、縁もゆかりもない山梨県の都留文科大学の英文科に合格しました。
公立の教員養成系の大学です。
ところが親が、遠くにはやれないと、合格通知を隠してしまったのです!
あわや、危なく二浪するところでした。
ですから初めて、親元から離れてかなり開放感を味わいました。
自主ゼミ活動で、教育についてその頃ずいぶん学びました。
英語教育、社会学など。
一番根気があった時代です。
フィギャースケート同好会にも入りました。
富士山が雄大に見えるリンクで滑れるのです。
冬になると、富士急行線に乗って、屋外のスケートリンクによく滑りにいきました。
ジャンプも回転もさっぱり出来ませんでしたが、
スパイラルなど練習し、良く滑りこんだと思います。
冬はとにかく寒かったです。
山梨県の郡内地方は宮城県よりもはるかに寒かったですね。
卒業時には、英語の教員免許も取得し、4年後、仙台に戻りました。
教員を目指しましたが、面接の二次試験で
何度か落とされまして、縁がないときっぱりあきらめました。
そして語学の勉強をしながらアルバイトをし就職先を探していました。
その頃はバブルもはじけ、氷河期に入り、就職活動もままなりませんでした。
履歴書を書いては送り、書いては送りを何度も繰り返しました。
そして、英会話講師を大人や、子どもたちに教えて掛け持ちしたりしました。
子ども向けの英語学校で働くと・・・・子どもたちの成長がすごいのです。
今日のこどもは、昨日の子どもとは違うのです。
成長というものはこういうものかと実感しました。
自分も負けずに成長したい!
そんな思いで3年間をすごしました。
その後、国際協力の仕事につくことが出来たのです。
国際協力の仕事は、海外から学びに来る外国人留学生との通訳からケアまで行うコーディネータの仕事でした。
やりがいもあり、ハードでしたがとても好きな仕事でした。
ところが、あるとき、仕事がひと山越えかけたときのことです。
いつものように出勤しようとすると、動悸、具合の悪さ、めまい、息苦しさ、腹痛、下痢などに襲われました。
それでも、何とか職場にはいっていたのでしたが、胃痛やら消化器系の不調に悩まされました。
その上、非常に疲れるのです。
なんだろう?
運動不足か?と思って、歩いてみたりしましたが、なかなか不調が抜けきらず、脱力感に疲弊しました。
そしてついに病院を受診しました。
先生からは「うつ状態だから、安定剤を飲んでみて」と言われました。
ところが、私は薬はなるべく飲みたくない!と思って飲まなかったのです。
結果・・・・・悪化しました。
不安感と疲労感が増強したのです。その上、パニックの症状も出てきました。
医師からは怒られまして、抗うつ薬を素直に飲むことにしました。
症状は、それから徐々に変化しました。薬を症状によっていろいろ変えてみたりしました。その時は三環形は四環形のお薬がメインでした。
今の薬とは違って、副作用が強いので、のどが渇いたり、眠くなったり、便秘になったりしました。副作用に悩まされ、ほとんど動けず、寝たきり、ひきこもりの状態にもなりました。
辛かったです。
仕事にも復帰できるのかもわからす、途中、目の前が暗くなり、希望が見えなくなり、結構落ち込みました。
一生駄目なのかなと思ってしまいました。
しかし一進一退を繰り返しながら、徐々にですが少しずつ回復していくことができました。
2年後のことです。
その後、大学生から付き合っていた人と32歳の時に結婚しましたが、
DVが原因で1年半後に離婚しました。
落ち込むことしばし・・・・・・
付き合って11年、結婚して2年たらず・・・・・
付き合いが長かっただけににショックでした。
私は確かに学生時代のパワーはなくなっていましたが
自分ではそんなに変わってないと思っていました。
でも、以前と比べると、無理はできないし、
長時間労働はもはや無理でした。
でも、パートで午前中働き始めました。
3ヶ月という期間限定でしたが病院で働きました。
図書室勤務です。なんとかできたので嬉しかったですね。
3~4時間くらいなら大丈夫でした。
もうちょっと働きたかったけれども期間が切れてまして、また職を探しました。
その日は、初めて職安に行って帰宅し、夫に今日はパートが見つからなかったといったら、ひどく怒られました。
それまでもいろいろありましたが、もうこれは自分の中でも限界かなあと心の底で思いました。
私の中では体力的にも精神的にも精一杯でした。
そしてそのまま離婚となりました。
私は、家に戻り・・・・・
黙々と、泣きながら部屋の片づけを2か月間しました。
酷く落ち込んではいましたが、片づけをすることで気が紛れたと思っています。
しばらくは、そとに出るのも億劫だし、知人に会うのも嫌でした。
あるとき・・・・・・こっそりと外出し、あるショップの店頭で出会ったアロマテラピーに引きつけられました。
すごく、和むし、リッラクスする香り。
これは何??(・・・・安息香でした)
引きこもり状態の私でしたが、少しずつ、香りをかぎに、ショップをのぞくようになりました。
アロマテラピーの精油・・・濃縮されているので、そのまま嗅ぐと強いけど、1滴でも漂わせると、すごく、落ち着く!心地よいということに気が付き、驚きました。
それが、私のアロマテラピーとの出会いです。
その後、アロマテラピーを体験し、勉強し、日々の生活に取り入れることが多くなりました。
その頃、第一回目に行われたアロマテラピー検定を受験。
合格してアロマテラピーアドバイザーになりました。
教えることも好きでしたので、アロマテラピーインストラクターの資格をとり教室を開くことになりました。
アロマのボディー・フェイストリートメントやアロマハンドトリートメント、アロマヘッドヒーリングスパにも深い癒しを感じ、トリートメントも行うようになりました。
私は、うつの経験から、無理はなるべくしまいときめています。
今でも、無理をすると、ひどく疲れるので、注意しないとだめですよね。
うつの方はどうしても無理を重ねて、頑張りすぎるタイプが多いからなのです。
そして、うつは怪我のように目に見えないけれどもかなり辛いものなのです。
怪我をすれば、ちゃんと傷の手当てをしますよね。
心の病気でも・・・・・同じではないでしょうか?
病院に行く、自分自身の心を癒すケアをする。
いつも、我慢しないで、たまには好きなことも少しはしてみるってことが大事ですね。
パニック障害もそうですね。真面目な方が多いと思います。
私も、以前、体調が悪い時に外出すると、パニックになることがありました。
電車の中で起こったので、中途下車することもありました。
ストレスや不安も大きいですよね。
もうちょっと肩の力を抜いて、楽に楽に・・・・・
ライフスタイルや考え方を変えるみることも大事ですね。
アロマテラピーは基本、ゆったり、まったり、リラックス。
じんわりと、自然の香りで頭の芯から癒される時間をもたらしてくれるのです。
私も、時々、好きな香りをかいで、まったり寝ていることがありますよ。
今は、シングルマザーとして歩んでいます。
これも自分では予想もできないことでしたが、人生いろいろなことがあるものです。
どうしよう!と悲観することもしばしば、ありますが・・・
あまり思いつめない方が、楽に生きていけるようです。
やるだけのことはやればどうにかなるし、
どうにかなるだろうと思っています。
この歳になると、親の介護の問題も避けては通れませんね。
ほんと、自分も歳をとるし、親も歳をとるのです。
時には泣いたっていいし、自分をいたわることも大切ではないかと思っています。
すべてが人生を深めるための、体験なのです。
その都度、一休みしたっていいし、今までの自分の生き方を振り返ってみてもいいのです
どこか無理していたり、我慢していないか・・・・・
深呼吸しながらふんわりと考えてみるといいでしょう。
そして、長くて短い人生をよりよく生きるための自分への癒しやリフレッシュがアロマテラピー。
女性の転換期をうまく乗り越えるのがアロマテラピーと思っています。
健康・美容法として、また他者へのコミュニケーションツールとして
女性の転換期をうまく乗り越えるのがアロマテラピー。
アロマテラピーは幸せになるためのセラピーだと思っています。
私にはいろいろな転換期がありましたが、乗り越えてきたのも、たくさんの方のお陰です。
自分にできることは何だろうって考えますと
やはりアロマテラピーを通しての癒しであったり、技術であったりするのです。
アロマで癒された私なので、アロマで人を癒してあげたい、癒せる人を育てたいというのが私の夢です。
特に女性に起こるかもしれない様々な転換期があります。
子育て、更年期、離婚、病気、介護、老化、死別などなど、そんな転換期をアロマテラピーでうまくサポートできたらいいなと思っています。
人を癒す仕事は素晴らしいですね。
あなたの幸せは何ですか?
私と一緒にアロマテラピーを通して幸せを見つけていきませんか。
おこじょらいふはアロマテラピーを勉強し、私や仲間と共に歩むスクールです。
ふと人生や道に迷った時でも、帰る場所であり続けたい、思いだしてもらえたら!
そんなサロンとスクールなのです。
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